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善と偽善と無自覚と 続・今回の地震あれこれ @宮城県

余震が続いていますが、福島・茨城の皆さま大丈夫でしょうか。こちらも安全な場所をチェックしようと外に出たらブロック塀のあちこちに微妙にひびが……。

やばい! これやばい! すでに本震で一か所、余震でもう一か所少し壊れているのに。ここの更新が突然無くなったら死んだと思ってください\(^o^)/

SignalNow Express
PCで緊急地震速報を使いたい方はどうぞ。TVより早く、実際かなり役立ってます。速報の音がうるさいと思う方はアプリごとの音量設定で対処を。Vista以降ならできます。

では本題。

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。

ほぼ同意。

電気無いやだ怖い
↓(復旧)
水道来ないのど渇いたトイレ流せない
↓(復旧)
ガス来ないお風呂入れない
↓(復旧)
きゃー余震! あーもういやだー!(いまここ)

とこの程度でだだこねる私では、すべてを失った人に声はかけられない。頑張れって言葉は、頑張れる人にかけるべきであって、絶望している人にかける言葉ではないんじゃないかと。津波が来ていない内陸部の人にかける分にはそれほど問題ないと思うけど。(私はOKです)

それにしても。
宮城県花山村は無事です。:Togetter
「仙台市三条中学校が外国人の心無い行動で避難所機能停止」というデマ :Togetter
石巻で殺人?:Togetter→3/22 河北新報でデマ確定。紙面PDF:河北新報
石巻の人に作ったお弁当を5000食捨てた…:Togetter

Twitterによる宮城県の迷惑な騒動。こういうのを見ていると、やっぱり結局お祭り気分の他人事なのねとしか私には思えないわけですが。「これは大変だTwitterで拡散しなきゃ。こんな私いいことしてるー」の裏で私はすっごく傷ついてます。自分にとって大切な場所がデマと大喜利の場にしかなっていないということに。

「この街に来てもいないやつが、知ったかぶりしてデマ流すのを見ていると本当に腹が立つ。なにが『知り合いから聞いた話だけど』だ」とも。
震災後の仙台を歩く:深町秋生のベテラン日記

まったくです。

阪神大震災当時、レイプが多発したと何の根拠もなく吹聴している輩は今すぐ自身の発信を全て削除し、神戸の方向を向いて土下座してください。そして二度とインターネットに触らないで下さい。

被災者が互いに助け合い、ボランティアの方々が復興に尽力してくださっていた頃の事を、想像だけでさも本当の事かのように語られるのがとても悔しいです。
地震に関する雑感:ついのすみか

阪神・淡路経験者で言ってくださる方もいた。ちなみに私も同じくらい憤っています。ネットを見ていて救われたことなんてほとんど無い。救助要請RTとかマスコミに伝わるまでRTとかそういう無駄で無責任なTwitterを見ていると、所詮、他人事のお遊びなのは余裕でお見通しなのですよ?

話は変わって。私は善というのは究極的には全部自己満足だと思ってる。つまり、

Q:なんで人を助けるの?
A:自分がそうしたいから。

ということ。

あえて善と偽善を分けるなら、「相手がどう思うか想像できていること」が分かれ目だと思う。

pixivがそろそろ本気で気持ち悪い
応援絵を描くことが被災者の役には立ってない。私もそう思う。私もあの日から一週間食料があまり手に入らなくて、大好きなドラえもんが楽しめなかったからね。娯楽は余裕あってのものだと、少なくとも私は思った。

ただ、絵を描くことは、描いている自分の心を落ち着かせることには役に立っていると思う。で、「誰に役立っているか」に自覚的なら別にいいと思うんだ。問題なのは「被災者に尽くす私いい人」と勘違いすることではないかと。

でも、そういうことは震災関係なく私にもたくさんある。きっと。そういうことを少なくしていくには、いろいろな経験や勉強を積んで、想像力を高めるしかないと思う。

だから、できるだけ不必要にひとを傷つけないよう、私はこれからも頑張る。

と、ものすごく理屈っぽく考えてみた。もっと違う面から考えたものもあるんですが、とりあえずこれで終わっておきます。当然ながら、上のことをしない言葉が絶対人を傷つける、というわけではないです。

本当にこちらの力になってくださる皆さま。(具体的には募金など) 本当にありがとうございます。ありがとうございます。大事なことなので二度言いました。

いま、こちらで全国から力を集まっていると実感できるのが、ガス復旧だと思います。全国から3700人もの方がいらっしゃって、地元ガス局の人員500人と作業にあたっているようです。

現にうちにも中部ガスの方が来ましたし、大阪ガスの方が作業しているのを見ました。もうありがたいです。次にどこかで何かあったら、なんらかの手段で絶対恩返しすると決めました! 

それと、あまり報道されていないようですが、茨城・千葉あたりは津波や液状化で大変だと思います。ライフラインも断たれたと聞いています。ライフラインが断たれる恐怖は、実際に経験しただけによくわかります。ついでにさりげなーく下水道やゴミなどがやばいところがあるでしょう。困っていることなんて同じです。だいたいわかります。

正直、宮城のことだけで精一杯の状況ですが、そちらのことも決して他人事とは思っていません! このこともどうか覚えていただけるとうれしいです。

関連記事:
今回の地震あれこれ @宮城県
アーシュラ・K・ル=グィンの日本へのメッセージが素敵

じつはまだ続く。以下は、以前からのこのブログ読者向け。

My Merry Maybeの某シナリオで主人公の言葉がどんなに彼女を傷つけていたことか。それにどれだけ主人公が無自覚だったか。

具体的に言うと、「レゥのように」「君には心があるよ

マイメビのテーマって「ロボットに心はあるか」ではないと思う。「違った相手を認めることができるか」じゃないかと。それが、違った存在の「命」を尊重することにつながってくる。

私はドラえもん 新・鉄人兵団の感想で、あえて「ロボット」は「人間」と書いたけど、ロボットが人間かロボットかなんて本来そんなのささいなこと。

被災者を認めることができるか。

外国の人を認めることができるか。

ロボットを認めることができるか。

根本的にはどれも、違った存在を理解して尊重し合えるかどうかの一点だけ。下にいくほど差異が大きくなって、相互理解が難しくなっていくというだけ。

私は「人間とロボットが仲良くなるには」とよく言っているつもり。

まさか「22世紀にはドラえもんができる。だからいまのうちに、ロボットとの付き合い方を学んでおかなければならない」という理由だと思ってる?

そんなわけないでしょ。

ロボットと人間が仲良くなるっていうのは、人間と人間が仲良くなれる、そういうこと。思考が近い存在どうしですらわかりあえないのに、ロボットとわかりあえるわけがない。

だから、私は22世紀にドラえもんができてほしい。そういう世界にしていかなければならない。その役割を、私たちが負っている。

『新・鉄人兵団』『My Merry May with be』『華竜の宮』、おもしろいよ。見ようぜ!

マイメビファンへ。(反転)
Q&Aの部分がマイメビの影響を受けているっていうのは、わかるよね?

それにしても、マイメリ感想で「Twitterって善意が溢れすぎててマジ怖いです」と書いた1か月後にこんなことが起こるとはねー。災害が起きたらTwitterがこうなるっていうのは当然予想通りだったけど。

映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 -The Only Neat Thing To Do-

寺本監督、凄っ! 結論。すばらしかった。

DVD発売が待ち切れず映画を盗撮してきたいくらい本当によかった。(もちろんしてません) ドラはそろそろ映画だけでもブルーレイを出すべき、とこの作品を見て心底思う。特に大山ドラのDVDは画質悪すぎる。もうDVDは廉価版が出てるんだしいいんじゃないの?

私の中では新魔界と双璧。正直、どっちがいいとは言えない。ということで新魔界と新鉄人は映画ドラのTOP2となりました。(ちなみに私は大山ドラ好きじゃないのでそういうことでよろしく)

あとリルル役の沢城みゆきさんとピッポ役の小林由美子さんの演技力に驚愕。全然知らない声優さんだったんですが、こんなに凄い方だったのですね。お二人が完成度を上げたのは明らか。この点は新魔界よりもずっと上。

とりあえずな感想なので、2回目も見て適当に加筆していく……はずだったのですが。私の住んでいるところに地震がクリティカルヒット。おそらく2回目は無理。

しょうがないので覚えている範囲で書きます。細かい間違いがあったらごめん。DVD出たらあれこれ確かめます。

やっぱりこれブルーレイで出すべきだ。被災して映画館で観れなかったうわーんな方ほかにもいるかもしれない! BD希望は公式に出しておきます。共感する方もぜひ公式に意見してほしい。

では、以下ネタバレ。

続きを読む

瀬名秀明『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団』

小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団ドラマニアはニヤニヤ楽しむために買い。SFファンを含むそのほかの方は回避でOK。小説としての出来はあまりよろしくないと思います。

瀬名さんが藤子Fさん大好きなのはとってもよくわかりました。もちろん前から知ってるけど、それが裏打ちされた作品。

他藤子作品からゲストがでたり、リルルのはだかをしつこく描写していたり、他大長編のエピソードを取り入れていたり、ついでにしずちゃんだったり、どんだけよ。まあ、わかる私も私だが……。

でも、それが物語に生かされているかというとNo。「俺知ってるぜ!」と言いたい感満載でむしろ話の流れを阻害しているかと思います。

藤子Fとはあまり関係ない部分でオリジナルの部分は、2点。
・他作品からのゲストがからんだ後半のコンサート。
「家を空けていて親が心配しているのでは?」という発想から生まれた展開なんですが、なくても話通じます。単なるつけたし。

あとコンサートの部分、筆力足りてないです。ここは映像化すべきもの。

・四次元ポケットや鏡面世界のSF考証がやたら細かい。
「四次元空間は、(中略)分子反応は平衡状態を維持したまま」(p244)
「鏡面世界に入り込んだ知性主体に残された余剰のベクトルはy軸であり」(p90)
のようななんかすごいことが書いてあります。部分的にはハードSF。

しかし、小説版鉄人兵団の構成自体はハードSFでもなんでもなく、基本的に原作そのままのファンタジー寄りな話なので、やっぱりつけたしレベル。むしろ浮いてる。だから、SFファンにはすすめません。

この原作そのままというのがはっきり言って致命的。コンサートとSF部分が物語全体としては機能してないから、瀬名さんの原作に対する解釈が見えてこない。

一応補足させてもらうと、おそらく、瀬名さんが書きたかったのはシンパシーにとどまらないエンパシー。「リルルが女の子の姿をしているから、勝手に同情しているだけ」(p175)や「地球人と共感(シンパサイズ)」(p254)というセリフ、そしてp307で博士がリルルに語ることばでテーマをまとめたと私は解釈しました。

その問題提起はとてもよいです。が、結局原作のままだからそのテーマが深まらずに終わってしまった印象が強い。

一方で、映画の新・鉄人兵団は寺本さんの解釈がはっきりと見えた。これは、思想は違うが根本的には変わらないどうしの異文化コミュニケーションの話だと。だからよけいに小説版がスカスカに思える。

ついでに文章についていわせてもらうと、文章の流れなさが異様に気になったんですけど。特に気になるのが文末に変化がないこと。「~ていた」という文末が5回続くってなんですか。(p216)

それと、リルルは心情描写不足。せっかく小説というメディアでだすのだから、ここはきちんとやってほしかった。

文句ばっかりですが、文句いいたくなりますよ。だって知ってるから。似たようなテーマで瀬名さんはもっとすごい作品を書けると。ということで推薦。『NOVA3』収録「希望」

神・9.11・感情移入・共感――などなど、鉄人兵団のエッセンス目白押し。そういえば、小説版ドラp58の世界貿易センタービル崩壊の描写はゼロ年代SF、具体的には伊藤計劃の影響か。もっとも、新鉄人もそれっぽかったし瀬名さんがSF作家じゃなくても9.11のように描いたかな。

それと、『パラサイト・イヴ』『BRAIN VALLEY』『BRAIN VALLEY 研究序説』おもしろかったです。『ロボットとの付き合い方、おしえます。』ロボットを考えることは人間を考えることととらえているのが瀬名さんらしくていいなと思いました。『世界一敷居が低い最新医学教室』そのうち読もうと思います。文系のための科学本棚で薦められていた『きちんとわかる巨大地震』手に入りそうなのでこれも読みます。角川はしょうがないですが新潮の本も絶版多くて困ってるんですけど。『サイエンス・イマジネーション』読みたいんですが文庫落ちとかないですよね。しませんよね。仙台文学館の特集展楽しみだったのに残念でした。これからノンフィクションやめて小説に専念するということで期待してます。

以上。

とか言ったら「本当の読者はどこにいる?」と瀬名さん大まじめに悩むのだろうか。検索してみると、他では小説版ドラの評価が高いようだからなおさらね。まあ、もしここを読んでいらっしゃったら悩んでください。

ということで、次こそ『ブリキの迷宮』を原案にして神林長平先生にノベライズさせるのだ! 全然ドラえもんじゃなくなると思うけどねっ。

ロボットもので残りの『ブリキの迷宮』と『ロボット王国』は神林長平と菅浩江でわけあうべき。菅先生のロボット作品は名作だと思うの。それとオリジナル枠で有川浩。『空の中』風のジュブナイル。これだー!

関連記事
映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団
瀬名秀明『BRAIN VALLEY』菅浩江『五人姉妹』有川浩『空の中』

寺本幸代コンテ演出リスト

そういえば寺本幸代さんのドラ担当作リストがないってことで作ってみた。2014/2/28までのデータです。(2014年10月から『怪盗ジョーカー』をやっているのでしばらくもどってこないかも)

他のドラスタッフで人気な高橋渉さん担当作リストは◆さんのデータをご覧ください。 →高橋渉コンテ演出リスト:◆ (高橋さんのリスト使わせていただいてます。ありがとうございます)

渡辺歩さんリストはこちら。作画@wiki - 渡辺歩

ドラえもん
放送日サブタイトル役職DVD
2005/4/15勉強べやの釣り堀演出Vol.1春05
思い出せ! あの日の感動演出Vol.1
2005/5/20(秘)スパイ大作戦演出Vol.3
ハロー宇宙人演出Vol.3
2005/6/24おかしなおかしなかさ絵コンテ・演出Vol.4
まあまあ棒絵コンテ・演出Vol.4ひみつS「のび太編」
2005/7/29ころばし屋絵コンテ・演出Vol.6
きこりの泉絵コンテ・演出Vol.6夏05心30「ロボット裁判所」プレコレ「ひみつ道具IN」ひみつS「ジャイアン編」
2005/9/23ああ、好き、好き、好き!絵コンテ・演出Vol.9
出木杉グッスリ作戦絵コンテ・演出Vol.9冬05
2006/1/27タタミのたんぼ絵コンテ・演出Vol.13春06ひみつS「ドラえもん編」
オーバーオーバー絵コンテ・演出Vol.13春06
2006/3/10無人島の大怪物絵コンテ・演出Vol.15
2008/5/23ドラマチックガス絵コンテ・演出Vol.33秋08
のび太はエライ! をもう一度絵コンテ・演出Vol.33春08
2008/7/11七夕の宇宙戦争絵コンテ(共同:鈴木孝義)Vol.35心30「あべこべの星」
2008/9/5ドラえもんの青い涙絵コンテ・演出心30「僕の生まれた日」プレコレ「未来の国から」
2008/12/12大あばれ、手作り巨大ロボ絵コンテ・演出Vol.40冬08プレコレ「ひみつ道具OUT」
2009/3/6天の川鉄道の夜絵コンテ・演出(共同:吉野芙紀)プレコレ「無限の宇宙で」
2009/6/26のび太を愛した美少女絵コンテ・演出(共同:吉野芙紀)プレコレ「のび太モテモテ?!」
2009/11/13宇宙人を追いかえせ!絵コンテVol.49プレコレ「ひみつ道具IN」
2014/2/7雪だるまが町にやってきた絵コンテ・演出-
2014/2/28会いたいヒト回転寿司絵コンテ・演出-

* 2009/1/9「のび左エ門の秘宝」について。
レンタルDVD Vol.41で「絵コンテ:寺本幸代」となっていますが、地上波本放送・再放送(2011/1/3)ともに「絵コンテ:鈴木孝義」とあることから誤表記と思われます。

映画ドラえもん
公開日タイトル役職
2007/3/10新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~監督・絵コンテ(絵コンテ補佐:鈴木孝義)
2010/3/6人魚大海戦おまけ映像
2011/3/5新・鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~監督・絵コンテ(共同:矢嶋哲生)・挿入歌作詞
2012/3/3奇跡の島おまけ映像
2013/3/9ひみつ道具博物館監督・絵コンテ(共同:久場良忠)
※「アムとイムのうた」一曲。(マイクスギヤマ:Twitterより)

個人的なおすすめは『新魔界大冒険』『新・鉄人兵団』「ドラマチックガス」「ドラえもんの青い涙」「天の川鉄道の夜」「のび太を愛した美少女」かな。

寺本さんってベガ入ってすぐOP絵コンテ担当して、4年で1時間作品の監督!? ナニモノですかこの人は。新魔界のインタビューで初めてお姿を拝見したときは「普通のかわいいお姉さんじゃないか!」と思ったのですが、全然普通じゃありませんでした。寺本さんごめんなさい。

Wikipediaの寺本さんOP3担当という記述のソースが確認できない……。もしかして、Wikipediaの飛ばしか? ちなみに現在のOP5の演出は寺本さんです。この前偶然シンエイ動画に勤めている方に会って聞くことができました。


とか言ったらWikipediaに載せられるんだろうか。嘘です。OP5担当スタッフなんて知りません。(でもひみつ道具博物館見たら寺本さん担当としか思えなくなってきた)

ジャンルなんて、関係ない

ドラえもんは一見子ども向けマンガに見えるけど、実は重いテーマが設定されている話も結構あって、大人向けでもある凄いマンガなんだぜ!

というようなマニアな感想は、基本的に私は嫌いです。だって、そんなの当たり前だから。

たしかにドラえもんには「森は生きている」のようにある意味ひきこもりを題材としたような暗いテーマの話もあります。しかし、それを軽くアレンジしてエンターテイメントとして仕上げることができるのがF先生、というより作家の凄いところです。

そもそも良質な子ども向け作品が大人の鑑賞に耐えうる作品というのは普通。そして、どんな物語にも深読みすれば重いテーマはいくらでも出てくるんです。作品を書く人間の哲学的な思想は多かれ少なかれ必ず出るものですし。

上の感想の何が嫌かって、「深い」「重い」「大人」のようなキーワードを使ってファンである自分を正当化しようという意識が透けて見えることなんですよ。そうやって「軽い」ことをバカにする風潮というのは、私には違和感があります。

もちろん、重いテーマを重いまま直球でぶち抜く作品というのも必要です。ただ、そういう作品は「軽い」作品がたくさんあって、読者の入口が広い状況があってこそでして、それ無くして狭いマニア向け市場は決して成立しないんですよ。それに、重い作品ばかりある状況は私も歓迎しません。たぶん人生疲れるから。

私は子ども向け作品が普通に子ども向けと認知されていて、実際に子どもが見ているという状況こそ誇るべきものだと思っていますし、エンターテイメントがエンターテイメントとして楽しまれているという事実こそが重要だと思っています。頭空っぽにして素直に笑える、楽しめるってなんと素敵なことか。

本当に作品を認めている方はそもそも「子ども向け」なんてそんな枠にはまらずに作品に触れてるんですけどね。子ども向けだろうが好きなものは好きでいいんです。それを無理やり高尚な言葉で持ち上げようとするのは作品が好きな自分に自信のない証拠。ということで私の結論。

『ドラえもん』は偉大な子ども向けマンガである。

ちなみに「偉大」というのは私の主観と商業的な意味で。


結論出しておきながらまだ続く。かなり辛口なので藤子ファンは見ないこと推奨……って書くと読むのが藤子ファンなんですね。わかってる。いや、ひとりごとなので本当に読む必要はありません。



だいたい有名になればなるほど見てないけど知っている人が増えて誤解が広がっていくわけで。ドラに限らなければ誤解なんて私もたくさんしてるだろうし、自分は本当のこと知ってるかっこいいというのはちょっと違うんじゃないかと。

もっと極端な書き方をすると、「可哀想にw 本当のドラえもんを知らないんだなw」みたいな。そんなつもりはない? でも、とりあえず私にはそう見えるんですけど。

さらに言うと、「いまのアニメスタッフはドラえもんのこと全然わかってない! ファンは偉いんだから、ファンの言うこときかないとドラえもん潰れる!」みたいなものを凄い感じるんですが。そのような声を制作者側が意識しすぎた結果、一時期潰れたといわれるのが90年代国内SFの世界です。

しかもそれは声が大きいだけの少数派だったという説も。

しかし、野尻抱介氏によれば、一部の「ハードSFファン」の声が大きく、それが全体のバランスを崩しているようだ。(中略)だが、声が大きい以上、マジョリティの発言だと外部から勘違いされやすいことは自覚してほしい。
SFセミナー2001『SF』とのファースト・コンタクト


アニメ界でも。

ごく一部の“作画オタク”と言われている人の発言権がネットによって大きくなってしまっていることが影響しています。これは実地で体験しているのですが、そのごく一部の大きな声を現場が真に受けてしまって、あわてふためいた結果がクオリティバブルなのです。
業界が“先祖返り”している――『ハルヒ』『らき☆すた』の山本寛氏が語るアニメビジネスの現在:Business Media 誠


ジャンル関係なく普通に誰でも楽しめる作品を書いても、「こんなのSFじゃない!」と批判される世界には、制作者もそうだけど、ライトなファンもバカにされたようで居たくないよね。「こんなのドラえもんじゃない!」そういうこと。

マニアが集まって語ること自体は私は別に構わない。でも、その中でライトなファンをバカにするような空気が普通になったり、ましてや自分たちが多数派と勘違いして大声出すようになると、絶対自分にブーメラン返ってくるよ、というお話。

別件ですが。例の都条例の件で、都知事や副知事の中傷・揚げ足取りをTwitterでRTした方が複数いらっしゃったのを、私ははっきり見ました。そういう方々を信用しろと言われても、無理です。もう藤子系Twitterは見ません。(前からほとんど見てないけど)

最近、藤子情報を求めてネットを徘徊するのが苦痛になってきた……。いっそ公式情報だけ見ようか。ま、今の段階でもかなり巡回先絞ってますので、すでにファンの間で回ってる情報を自信満々で披露とかしても適当にスルーしてください。

と、いうことでもしも、もしもですけどこのブログをご覧になっている方にアニメドラの関係者がいらっしゃるのなら、速攻でお帰りください。ここはマニアの妄想ブログですから、こんなの見てはいけません。

そして、どうやったらマニアにうけるかではなく、どうやったら子どもたちにうけるかだけを考えてください。お願いします。


参考リンクといくつかコメントを。

安易な定義づけとそれを権威化・偶像化して持ち上げる傾向が、そもそもアニメやマンガの持つ多様なテーマや多彩な表現への可能性を閉ざすということにはなっていないでしょうか?
マンガ・アニメは、はたして「芸術」であるべきか?:Biting Angle


○○でなければならないという考えが表現の幅を狭めてると思うことは結構あります。それを強いているのは、ファンの側ではないかと思うことも。(アイマス2問題とか)

私も、なんでそんなにマンガに権威を与えたがるのかよくわかりません。娯楽でいいじゃないと思います。(ドラえもんを「偉大」と表現してこんなこと言うのなんですが)

こちらは新年一発目に遭遇した良エントリでした。青の零号さんありがとうございました。

SF短編臭:奇想庵
コ、コメント欄が濃すぎます。しかもまさかの上田早夕里先生が降臨。作者にSF以外の読者の声もきちんと届いていることがわかって安心しました。

最近のSF界は業界の閉鎖性に結構自覚的な印象があるので、大丈夫じゃないかな? と私は楽観的に見ています。私自身ハードSFは苦手で読みやすいライトなSFを読むほうなのですが、ハードSFファンの言動などで嫌な思いをしたことは特にないので。ライトノベル作家であることを重視してエンターテイメントに徹する有川浩といったSF作家がいることも好印象につながっています。

ちなみに私も『華竜の宮』の前段階中です。とりあえず『ラ・パティスリー』と『美月の残香』を早く買ってこよう。しかし、上田先生の著書の感想書くときはご本人がご覧になることを前提に書かなければいけないようで緊張します……。

「こんなのSFじゃない!」という発言がいかにウザいか:誰が得するんだよこの書評
マニアの声はでかいが数は少ない:FANTA-G
レンタル&プレイ中 Part.66:週間ゲームレビュー(微妙にMy Merry Maybeネタバレ)

書いてたら「原作と違うアニメドラえもんなんてありえない! 原作ドラは人生の教科書! 藤子信者じゃない!」とか言ってた昔を思い出してなんか死にたくなってきた。あのときブログとか掲示板とか書いてなくて本当に良かった……。

ちょうど上田先生が関連する話題をつぶやいていたのでリンク。まさか私の記事をお読みになったとかではないですよね。おっしゃること、まことにごもっとも。ただ、上の話は「重いのがそんなに偉いの?」という問題提起なので、このような書き方で通します。
上田早夕里(@Ued_S)/2011年01月28日 - Twilog

書き忘れがあったのでこっちに少しだけ続き。→ドラえもん のび太の町が雪山に

シナリオってどんなもの?

シナリオは誰のもの?の続きといえば続き。「脚本」についてもう少しいきます。そもそもキャクホンって何? 小説とどう違うの? というお話。

まず、シナリオについて書かれたすばらしいサイトを紹介します。

1-1)シナリオが書かれる二、三の理由:アマによるアマのためのシナリオ講座

こちらをご覧いただくだけでも完成作品から脚本評価するのなんて不可能ということがわかると思うのですが(正直ここで終わりたいです)。

こちらで書かれている通り、脚本にはポイントがあります。それは、脚本は視聴者が直接お目にかかるものではなく、あくまで制作者の参考とするものということ。つまり

「やり過ぎない」「適度な処で止める」「でも演出や作画やその他作業工程における他のクリエイターさん達に、イメージを喚起させる取っ掛かりとして機能するもの」が求められるという事。
「小説と脚本」の違いと、更に曖昧な「キネティックノベル」@榊一郎:Togetter

解釈が一つに定まりすぎる脚本は演出にとって非常にやりにくい。完成品から完全に逆算できるようなそのような脚本はじつはあまりよろしくないのです。

逆に逆算できなさすぎる脚本もダメです。『アマによるアマのためのシナリオ講座』さんで挙げられている

彼は、実は悲しいと思ったが、表情にはそれを出さなかった。

こういう映像化できない文章は脚本に書いてはいけません。で、その疑惑があるのが小説家の真保さん。楠葉監督が真保さんの脚本を「ト書きが小説的で、うまく映像に起こしにくいんですね」『Quick Japan Vol.88』, p151)と評しているので言い方は悪いですが『アマによるアマのためのシナリオ講座』さんでいう「シナリオと小説の違いがわかってない」のではないですかね。

それで、以前にも引用させていただきましたが、こちらのようなことが起こるわけです。

アニメ画描きとしての訓練を受けてない脚本家の本は、文字で書かれた物として優れてても、画では表現困難だったり、意味のない表現である場合が多々出てくる。その時コンテや原画作業で一部を変えるとその後も連鎖式に変ってくる。
アニメで脚本を評価することのむずかしさ:Togetter

つまり、完成作品から真保さんの脚本を逆算するのは普段のアニメ以上に不可能。よって真保さんを批判するのはお門違い。批判すべきは真保さんを起用したスタッフ、もしくは真保さんのわかりづらい意図を読み切れるような天才ではない楠葉さん。


上でも言われている通り、演出していくうえでストーリーが最初の脚本と大幅に変わってしまうこともめずらしくありません。脚本家の細かい癖さえも、統括する監督や演出家がアニメ全体の雰囲気を統一するために変えてしまう可能性もあります。彼らの方針で脚本家の個性を残すかどうかは変わると思います。

アニメドラの個性は……少なくとも私にはわかりませんね。大野木さんがなんとなく特徴があるようなないような気がするくらい。演出家の個性のほうが強いかと。安藤さんとか。

……安藤さんのぶっとび回って脚本段階であんなのなのか、演出段階になってあーなるのかかなり気になる。

とりあえず脚本段階からだったとしても、貧乏バースデーみたいなぶっとび回が脚本家一人の独断で書けるわけないでしょ。読み会で何度も監督やプロデューサーのチェックが入るんですよ。もっと前の構成段階で入ってると考えたほうが自然。たまにはアニメならではのぶっとび回入れるってことでしょう。この回のときどこかで藤本信行さん批判見たような気がする。藤本さんお気の毒。


「やり過ぎない」脚本のイメージがつかないという方もいらっしゃると思うので、ここで私の大好きな"My Merry May"いきます。マイメリの脚本の何が良いって、声や絵が付くこと前提のスカスカの脚本なんですよ。これはライターが演劇出身なのも関係あるはず。(演劇では脚本と演出を同じ人がやることはめずらしくありませんね)

松岡由貴さんのあれはたぶんライターも予想していなかった奇跡のたまものだろうからこの際置いておくとして(しかし何度でも言う。マイメリシリーズのこのひとの演技はもはや異常)。声のトーンや、あるキャラが話しているときにその「隣」のキャラの表情を変えたりすることで心情を表す。地の文やセリフに頼っていない。

例を挙げます。

Bとばかり仲良くしている主人公にAがひそかに嫉妬するシーンがあるんです。(プレイヤーも二週目じゃないとわからない) 下のような雰囲気の会話が交わされます。

主人公:「喜べA、Bが来てくれるよ」
A:(微笑んで)「……やったー」

この「やったー」のボイスが微妙に棒読みなんですよ。しかも「……」とほんの少し間がある。小説ではもっと文章費やさなくてはいけない、しかもあからさまに書けない難しいところを、ひとことで演出してしまうんですね。

で、そのあとAが主人公と一緒に食事をするイベントがあってAは喜ぶわけですが、そこにBがやってきて3人で食事をすることに。食事中Aは喋らずにしょぼーんとした顔だけが映る、というわけです。

(誤解を招かないように言っておくと、AもBも普通にいい人です)


うーん。文章で説明するの難しいなあ。(そもそも文章で説明できないことだし……) とにかくマイメリは文章を書かずにキャラの心情を読み取らせるのが非常に上手い。

主人公:「ちょっと、外に出ます」
C: (微笑んで)「……わかった」

これだけのやりとりだけで、Cが「さっき帰ったDと話をするために外に出るのね、わかってる」と思っているということがプレイヤーに読み取れる。「間」が上手いので、わざわざ文章に書く必要がない。

マイメリは声優が微妙という批判があるゲームなのですが。声優の木村さんと大前さん、ついでに前田さんもたしかにあまり上手くない。でも、この3人の声オフでやったらマイメリの魅力は半減すると思ってます。(→声が必要な代表シーン:知ってるよ・求めて求めて・くっつかないよ) そう思わせるマイメリは、脚本が優れているとみていいかと。


えーと。ドラ系の方ついてこれているのでしょうか。不安だ。(そもそもマイメリのほうは以前ネタバレ感想で全部書いてるんだけど) ということでアニメドラからも。

「のび太の知らないのび太」(2010/5/28)でおまわりさんがお礼をしに来る直前、ママが怒りに震えているシーン。

ママ「のーびーたー!」
おまわりさん「あのー」
ママ「はい」
ママ「あ、あらーおほほほほごくろうさまでございます」

テキストに起こすとなんてつまらないんでしょうか。「はい」というものすごく高圧的なしゃべりがおまわりさんを委縮させてしまいました。この「はい」という部分は確実にこういう風に話すようにという演技指導が入っているはずです。なぜなら、ここは声が入らないと成り立たないシーンだから。

(どうでもいいことですが、最初ここの文章書くとき、「はい」(←ここ注目)と書こうと思ったのですが、「はい」と太字に強調しました。これも直接書かない演出の一種だなとちょっと思ったり)

原作に沿った、アニメの二次創作なんかを読んで、違和感を持った方はいませんかね。下手な人は心情描写や風景描写がやたら少なくて、会話だけで進んでいくんです。逆シナリオ化してそれを見せているに等しい。(これも、「シナリオと小説の違いがわかってない」人) そういうのってだいたいつまらないじゃないですか。そう、そのまま読んでもあまりおもしろくないのが脚本です。


もうひとつ脚本の重要ポイント。さっきの榊一郎さんより。

脚本は「声優さんの喋り」――実際に声に出して発音するの優先

マイメリのテキストでよく批判される「けれども」ですね。そう、このゲームのキャラたちは話し言葉で普通に「けれども」を使ってきます。普通は「けど」です。「けれども」は上手い声優さんが喋るぶんには気にならないんですが、一部あれな声優さんは……その、ちょっとね。

ほかにはマイメビやっていて「聞いていない」「見ていない」が気になった。どちらかというと「聞いてない」「見てない」のほうが口語的。


最後におまけにもうひとつさらに榊一郎さんより。

デキが良い作品(人気があってメディアミックスの対象になりやすい作品)は、しばしばその媒体での表現に最適化されていたりする

これはバッチリドラえもんに当てはまると思います。私が原作ドラの何を評価しているかというと、ギャグ、あの「間」、無駄のないコマ割り、完璧なセリフ回しです。あれをマンガ以外に移植するのは不可能。ちなみに私はドラのストーリー性をあまり評価してません。

前にも言ったけど、大長編は構成がイマイチ。短編で良くあがる「さようならドラえもん」や「結婚前夜」もそこまで凄いか? と個人的には思ってます。

(というかこれらの作品を評価できるのは、意外と原作ドラをたくさん読んでのび太というキャラをしっかりとつかんでる方しか無いんじゃなかろうか。基本一話完結マンガでそれはいいのか。私の高校時代の先生は、のび太としずかが結婚することすらご存じなかったのですが)

ならアニメ見なくていいじゃんとか言われそうですが、アニメだと原作関係無しでストーリー性を重視して見てます。今度は逆に原作のストーリー性の高い話で、短すぎてできてしまった空白にどんなものを詰め込んでくるのか楽しみなんですよ。自由度の高いアニメオリジナルはもっと楽しみです。

アニメドラスタッフがF先生超えられなくて悩んでるなんて話を聞きますけど、正直F先生なんかにこだわりすぎてほしくないというのが私の本音です。マンガに最適化された原作を真似てアニメを作っても、原作超えられないのなんてわかってます。そんなの最初っから期待してません。それよりも、アニメ独自の世界を大事にしてほしいです。そういう意味で私は原作ドラに縛られない渡辺ドラや寺本ドラが大好きです。


にしてもシナリオについて調べようと思っても高い本しか無いなか、このようなわかりやすいシナリオ講座を無料で公開してくださる方には頭が上がりません。

と思ったら『アマによるアマのためのシナリオ講座』さんご自分で

はっきり言って、僕は基礎知識を得るためだけでも10万円以上はかけました。それを無償で公開してあげるのだから、どんなにがんばっても大赤字の超ド級出血大サービスです。なんて心の広い奴なんだ僕って!(自爆)
第一章:シナリオの基礎知識 -アマによるアマのためのシナリオ講座

と書いていらっしゃる。私の代弁者でした。本当にありがとうございます。自爆なんかじゃありません。


とにかく私が言いたかったのは、脚本と小説は違う。特にアニメの場合、脚本家叩いたって意味無いよってことです。ということでアニメ感想系の皆さんは誤解を生まないために脚本が良いという言葉は使わないほうが無難。直接脚本を見て評価することができる内部の方は、ぜひ情報流して 私はストーリーが良いと評しておきます。これなら問題ない……はず。


参考に。本日の当事者マイメリの脚本担当、Q'tron長井さん執筆の関連記事。音声収録の際のライターの立ち会いについて書かれています。 →シナリオライターと声優~どうしたら仲良くなれる?~:シナリオライターズ Qtron

そういえばオリジナルMaybeのEDに「脚本 長井知佳」「シナリオ 長井知佳 西川真音」ってあったけどどう違うんだろう。長井さんがメインであることを示しているだけで深い意味はないのかもしれないが。with beのMaybeEDはシナリオ表記だけだったし。

この前、『想いのかけら -Close to-』攻略完了しましたが、表情変化が少なすぎて脚本読んでる気分……。(ノベルゲームってみんなこんなものだっけ?) 小雪の表情がもっと豊かならなぁ。同じクールキャラならマイメビの鏡さん最強じゃないか。細かい表情変化が良かったんだよね鏡さん。彼女含めマイメリの表情の豊かさはやっぱり魅力的。

好みなんて、ひとそれぞれ

『今をトキめかない』さんより

先日の「ほんもの3Dテレビ」について、放送前の予告的な紹介(宣伝?)記事が、某ポータルサイトニューストピックに掲載され、実に多くのコメントが寄せられました。
思い出した!あの日の感動! :今をトキめかない

なるほど、こんなことがあったのですか。私は場の雰囲気を見てあれだったら即バック、その某ポータルサイトは見るまでもなく基本即バックなので知りませんでしたし、これから詳しく調べようとも思いませんが。

せっかくなので「作品の評価」について論じてみることにします。
結論から言って、ネット上の評価なんて、まったく当てになりません。

例を挙げましょう。SFで有名なウィリアム・ギブスン 『ニューロマンサー』とフィリップ・K・ディック『ヴァリス』 Amazonの評価を見ると、ものすごく評価高いです。でも、この2作は挫折率が非常に高いことでも有名なんです。

私も『ニューロマンサー』は本屋で覗いてみて無理そうなので止めましたし、『ヴァリス』は同じ神学的モチーフの短編「シビュラの目」が理解不能だったので読んでません。

他にも有名作なのに好きじゃない作品なんて私はいっぱいありますよ。『幼年期の終わり』とか『夏への扉』とか。『愛はさだめ、さだめは死』の一部収録作なんて「シビュラの目」とは違う意味で理解不能な領域なんですが。誰か日本語教えてくださいレベル。とにかく、世間の評価高くても私はおもしろくないんだからしょうがない。

逆に、私が好きで好きで関連作品はほとんど買って、参考資料として挙がっていた本を読みまくるほど大好きなRemember11というゲームの評価はこのとおり真っ二つで総合評価は微妙。

あと、私の大好きな映画ドラ 新魔界大冒険も評価は低いです。でも私は好きなんだからしょうがない。前作や旧作の評価が高い反動でこちらの評価が低くなろうが、私には関係ありません。

Amazonというのは、公平に見えて評価が偏りやすいです。誰だって高評価の中に低評価なんて入れづらいし、「このレビューが参考になった」で叩かれたら嫌です。

グレッグ・イーガン『祈りの海』で低評価付けているお二人のレビューとか、『祈りの海』が好きな立場の私すらすっごい同意できるのですが、「このレビューが参考になった」投票では微妙、と。まあこんなものです。

Amazonですらこうなんだから、どこかの巨大掲示板とかポータルサイトの話題が一度偏ったらどうなるかなんてわかりますよね?


そもそも、

『ライトノベル作法研究所』さんより

人気投票で上位に入った作品と、不人気投票で上位に入った作品が被ることが多かったのです。
オリジナリティ論:ライトノベル作法研究所

あなたの作品を10人の人が読んだら、賞賛してくれる人が1人、批判する人が1人、残りの8人が、無言のまま去っていきます。
価値観の違う読者からの酷評にどう対応する?:ライトノベル作法研究所

と、小説研究サイトにもあるように、10%のアンチがいれば必ず10%のファンがいます。10%のファンは単に雰囲気にのまれて書きこまないだけです。

というかドラえもんは国民的アニメだからいろいろな方が見ているわけで、10人、とはいかなくても100人くらいに声かければ1人くらいはわさドラが好きな方がいらっしゃると思いませんか。日本の人口1億2000万人ですから、120万人くらいいる計算になります。それじゃ不満ですか? 私はこれくらいいれば満足です。


つまり、ネットの評判なんて気にする必要ありません。好きなようにやればいいのです。しかし、これは逆にファンがファンの評価を気にする必要もないということで。

鈴忌さんの意見
仮に10%の人間に認められる作品を作れば歴史に名を残せます
人気作品をおもしろいと感じないのは感性が乏しいから?:ライトノベル作法研究所


という意見に私は同意します。つまり、ファンは最大で10%以下ということです。上でも引用したように、ファン1人に対して9人は興味なし、嫌い、なんです。

いくら日本人がドラえもんを知っていても、ドラえもんの原作読んでいるひとなんてそういるわけない。それなのに勝手に「ドラえもんの原作読まれていないなんて失望した」みたいなことを言うのは私は9割の方々に失礼だと思います。

私だって名作や古典と言われるものでも、興味なくて読んでいない作品はいくらでもあります。一生かかっても読めるのは1%以下でしょう。私がこの前言った持ち込みたくない「常識」とはこのことです。


まとめると、あるひとが好きもしくは嫌いと思う気持ちを否定するのは誰にもできない。特に、「この作品が好きなんだ!」という気持ちはあなたの財産ですから、たとえヘンな人がいて否定されたとしても自信持ってください。私は自信持ってます。私は未だにアンチが目立つわさドラ&Remember11と、そもそも名前すら知られていないMy Merry May が大好きです。

……決めました。やっぱり本音出します。アンチに悩むとか、どれだけ贅沢なんですか。日本人のほとんどがなんらかの形で「ドラえもん」を知っているということ自体が既に奇跡の賜物なんですよ。

売れないことがわかっていて、それでもライターが創りたいと思うゲームを創らせた。その結果がもしかしたら会社の倒産なのかもしれない、という My Merry May ファンの私の気持ちはいったいどこに投げつければいいんですか?


あ、最後に。春巻きさんへ。
「リニューアル当時感想を書いていた方、そして今書いている方、ありがとう」

私も含む、のでしょうか? そう解釈します。
どういたしまして。こちらこそ、ありがとう。


自分の好きなものに自信持てない、という方はこちらを。
恋空やセカチューで泣ける人ほど優れている:誰が得するんだよこの書評
「好き」を表明することは、大体どんなときでも大事だと思うこと:不倒城

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)
しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)
←おすすめ本
アイデンティティを探求しつづけるグレッグ・イーガンの短編集。表題作「しあわせの理由」を読めばわかります。好き嫌いの組み合わせがヒトのアイデンティティを規定することを。そして、好き嫌いが皆同じになったら、どんなに恐ろしいかということを。

14年。それから

本日9/23は藤子・F・不二雄先生の命日です。今年で14年になります。

ということで今日はF先生が亡くなった当時の誤解を解こうと思います。
ストレートに言います。「F先生が鉛筆を握ったまま机に突っ伏して気を失っていた」というのは嘘です。

証拠は、小学館2000年発行『ドラえ本 ドラえもんグッズ大図鑑3』に掲載されているF先生のご息女、日子さんのインタビューです。引用します。

日子 「鉛筆を持って机の上に伏していたとマスコミに報道されました。(中略) でも、本当は静かな、まるで庭を眺めているようにして椅子の上で意識を失っていました」(p182)

『こだわり人物伝 藤子・F・不二雄』のテキストでは夫人の正子さんが「机に向かいペンを握ったまま倒れていたのを日子が見つけて」(p56)とおっしゃっていますが、おそらく間違いだと思われます。


これだけで終わらせるのはなんなので、この機会に私が「ファン」としていろいろと感じていることを書こうと思います。

正直に言って、私は狭いファン活動が嫌いなんですよ。どこかで見たような話しかないから。
だから、藤子ファンが藤子F先生凄いんだぜ! と長々と語っているのを見ても全然心に来ないことが結構ある。(某会誌の投稿欄とか読んでない……) それよりも、他分野のファンがさらりとF作品を引き合いに出してF凄いねというのを見るほうが感動します。語る視点自体も藤子ファンとはズレていて、私にはまったく気づかないようなことが多い。

藤子だけでなく多くの分野に目を向けていかないと、藤子ファン以外からの支持を得ることはできない。特定のファンだけに支持されるものを書いたところで、一般の方々からすると明らかにズレていることだってある。そういう「常識」を他分野に持っていきたくない。そうならないためには、やっぱり「いろいろ」な作品に触れて、それらの作品もリスペクトするしかないのかなと思ってます。

そういえば、私が最高のリスペクトを捧げている物語、My Merry May をプレイしたのは同社のゲームEver17ファンの誰かが薦めていたからだったのを思い出しました。Ever17自体はまあ普通に好き、レベルなのですが、マイメリへの糸口をくれたという意味ではいくら感謝してもしきれない。こういう横とのつながりを大事にしていきたい。(しかし、薦めてくれた方には悪いけどマイメリとEver17は別に似ていないと思う)

まあ、そう簡単にできたら苦労はしないんですが。とにかく、多くの作品を読んでみる。そして逆に、私がファンである藤子F、それだけでなく My Merry May、フィリップ・K・ディック、その他あれこれに対して皆さんが興味を持ってもらえるように記事を書いていきたいと思ってます。


ということで、3日前にドラ&マイメリ関係でひとつ重要なことに気が付いたので叫ぶ。
マイメリの原画を担当されている「をがわいちろを」さんってもしかしてドラ誕生日スペシャルの作監のひと!? 作監担当パートなんて知らないけどもっと褒めておくべきだった。

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