Entries

映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 -The Only Neat Thing To Do-

寺本監督、凄っ! 結論。すばらしかった。

DVD発売が待ち切れず映画を盗撮してきたいくらい本当によかった。(もちろんしてません) ドラはそろそろ映画だけでもブルーレイを出すべき、とこの作品を見て心底思う。特に大山ドラのDVDは画質悪すぎる。もうDVDは廉価版が出てるんだしいいんじゃないの?

私の中では新魔界と双璧。正直、どっちがいいとは言えない。ということで新魔界と新鉄人は映画ドラのTOP2となりました。(ちなみに私は大山ドラ好きじゃないのでそういうことでよろしく)

あとリルル役の沢城みゆきさんとピッポ役の小林由美子さんの演技力に驚愕。全然知らない声優さんだったんですが、こんなに凄い方だったのですね。お二人が完成度を上げたのは明らか。この点は新魔界よりもずっと上。

とりあえずな感想なので、2回目も見て適当に加筆していく……はずだったのですが。私の住んでいるところに地震がクリティカルヒット。おそらく2回目は無理。

しょうがないので覚えている範囲で書きます。細かい間違いがあったらごめん。DVD出たらあれこれ確かめます。

やっぱりこれブルーレイで出すべきだ。被災して映画館で観れなかったうわーんな方ほかにもいるかもしれない! BD希望は公式に出しておきます。共感する方もぜひ公式に意見してほしい。

では、以下ネタバレ。

なるほど、これは「人間」と「人間」の物語だったのかと。

私は原作を前からそうとらえてましたけどね。鉄人兵団はロボットではないから。

鉄人兵団が人間の奴隷制度をメタファーとしていることはしずかちゃんが言っている通り。もっと具体的に言うと、ロボットは白人、人間は黒人の比喩。で、白人には心は無い? 違うでしょ。極端な話、白人側が「下等な人種は奴隷になったほうが幸せ」と思っているけど、それは価値観の相違、勘違いなわけで。

まあここは前に鉄人兵団のオチは反則で紹介したVinegar56%さんの考察をご覧いただければ。(丸投げできるってすばらしい! これほど隙の無い考察もう出てこないんじゃなかろうか)

リルルには感情がなかったわけではないのです。ただ、彼女は人間を、感情を表してコミュニケーションするような同等の相手だとは思っていなかっただけなのです。
非ニコマス:そして彼女は天使になる 大長編ドラえもん「のび太と鉄人兵団」について - すごろく妄想格納庫 (2が出る日まで)

だーかーらーこーそ。やっぱりオチは変えるべきだった。ピッポは思いやりの心に気づいた。リルルも思いやりの心に気づいた。すべてのメカトピアのロボットにその可能性はあってしかるべき。

いま、平等思想が全世界にあるとはいえない。でも、ここまで広まったのは人間の進歩といっていいと思う。(ただし、「いまの日本に住んでいる私の価値観に従えば」という条件付きで)ロボットにそれは許されないとかやだやだ。

私はロボットが人間になる話が大嫌いなのもあり。「人間らしい」ロボットはすばらしい、ってものすごく人間の傲慢。そんなのMy Merry MaybeのリースBで既存の価値観ぶっ壊された私はやっぱり認めません。

人間は人間、ロボットはロボットとしてすばらしい、という発想は無いの? ロボットにはロボットの誇りがあるんだよ? それは、リルルが「天使のような『ロボット』に」と言っていることからもわかる。いまの時代、ロボットは人間になりました、よかったよかったなSFなんてあんまり無い。でも、旧作は「人間になれてよかったね」な印象のほうが強い。

もし、F先生が本気で人間とロボットの話を書くつもりだったのなら、もっとロボットをわかり合えない異質な存在として書くんじゃなかろうか。SF短編「マイロボット」「いけにえ」みたいな作品を書いているわけだし、他の国内作家もたとえば神林長平先生が『戦闘妖精・雪風』を書いてる。Fさんのことだから読んでるでしょ。

そんなF先生が単純に「○人間(心がある)⇔ロボット(心が無い)×」という作品を書くとは私には思えない。

余談。昆虫には人間的な「心」はまったく無い。すべての行動が本能に従った反射的行動。でも、それも一種の心って言えるんじゃないかと。

人間的な「心」しか「心」と認めないのであれば、人間にしか心は無いよ。うれしいとか悲しいとか、そういう感情に「似たもの」のある動物はおそらく人間以外にもいるはず。でも、脳の作りが人間とは違う以上、その感情が人間とまったく同じように処理されるということはあり得ないから。

そういうのを無視して、「人間の心はすばらしい!」っていうの、私はやっぱり大嫌いなんだ。

MMMbeの「だから君に与えよう。心という概念を」という言葉、この作品のほうが合うかな。リルルにはもともと(思いやりの)心と言われている存在はあって、その「概念」を発見しただけのこと。「ただの気まぐれ」が「心」であることに気づく物語なのでは。

まあオチについては前にうるさく言ったので。思いやりの心を「育てよう」となっていたから前よりは断然OK。リルルの学んだ思いやりの心を埋め込んだ、というのはリルルが鉄人兵団に思いやりの心を教えたのといっしょと解釈できなくもないし。

しずかから教わった思いやりの心を使うというこの展開自体はすごくよかった。やっぱり寺本さんらしく小道具を使ってきたな。ペンダント。総司令に報告するとき、リルル、このペンダントを握りしめて……。グッと来た。

物語のまとめは以上。以下、うまくまとめられなかったので適当に箇条書き。

・糸なし糸電話からリルルの声が聞こえてくるところ、怖くてのび太と一緒に逃げたくなった……。私は前から「あなたが気に入ったの」というセリフが「好きになった」という意味か「都合のよい協力者ができた」という意味なのか考えていたけど、完全に後者で来た。

そして、そのあと。「逃げられや、しないわ」と高速でジュドが発進。ここで私のスイッチが完全ON。最高。

・改造はひどいよ。
おはなしボックスで姿を変えるのもかなりひどいと思うよ。

公式サイトのドラジオより。
「おはなしなんとかって道具でぼくをこんなヒヨコみたいなかたちにしちゃったんだピヨ」
「あの青い玉のままじゃ何言ってるのかさっぱりわからなかったもん。あの青い玉よりいまのほうがかわいいよ」

じゃあ人間も鉄人兵団からボーリングの玉にされても文句言えないね! そっちのほうが鉄人兵団から見ればかわいいかもよ。

……少しはアイデンティティというものを考えてやってください。身体は大事なの。私はボーリングの玉になってまで生きたくない! と『華竜の宮』を読んでなければ断言しただろうけど、困ったな。

そもそもジュドをボーリングの玉のまま描くとか、もしくは最初からヒヨコの設定にするとか、そういうのはできなかったんだろうか。ほうきでたたかれているボーリングがかわいそうだったのでボーリングのままでもいけたと主張する。

ついでに「ピッポ」じゃなくて「ジュド」で良かったんじゃない? 本人が嫌がってたんだし。ものすごくたとえがアレで申し訳ないんだけど、朝鮮の人に日本風の名前付けて日本人になれてよかった的なものを感じなくもない。

まあ、このあたりはアニメに本気でつっこんでなんになると自分でも思う。私は原作の頭脳改造OKOKだったし別にこだわりはないです。このへんうるさく言うとアウトになる物語は多そうだし。

ヒヨコにされたあと鉄人兵団からボコボコにされるのも皮肉の一種か。その後、ゴミ(だっけ?)と言われて、「ぼくはゴミじゃない!!!」のシーンで再び私のテンションがMAX.

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)上田早夕里『華竜の宮』の話をだしたのでふたたび推薦。共存を描く名作です。:『華竜の宮』感想

巨大な自然災害や放射能の不安。そんな中でのお勧め作品(?):【蝸牛の翅(かたつむりのつばさ)】
こちらのレビューを読んでいて気づいた。どうしようもない状況のなかギリギリの綱渡りをするという意味で、華竜の宮と鉄人兵団は似ている。

鉄人兵団では下手すると襲われる、いや現に襲われたにもかかわらず、のび太としずかはリルルを説得する選択をした。リルルがそれを受けて命をかけて司令官を説得。そこまでしても、兵団と和解という抜本的な解決は不可能だった。

でも。

彼らは全力で戦った。それで充分じゃないか。

もし争い合うのが人間の根本ならば、人間自体をリセットするしかない。それが嫌なら。コミュニケーションという手段を生かして限界までぶつかる。そして、落としどころを見つけるしか、ない。

つまり鉄人兵団は無力な状況のなかでも懸命に努力することの大切さを謳う、オチまで含め完璧な物語だったのだ! すげぇ!


んなわけあるか。

・(設定上)中学生の女の子を一人で遠くの自分の家まで連れ帰るしずかちゃん天使。じつは天使たちというのはしずかちゃんも含む。

新鉄人ではカットされたけど、「みたわね」は原作屈指のトラウマシーン。あれはバイオハザードなので、原作読んでない方はぜひ。ついでに旧作のほうで一番怖かったのは、「きみのロボット!? どうしてあんなおそろしいものを」のあと一瞬映るリルル。いまだに怖くてあまり見られん。

・リルルをこわしちゃえ、のときのピッポのかなしそうな顔にはこっちまで泣きたくなった。あんなかわいいヒヨコにもし「やめて、こわさないで!」なんて言われたら断れないな。

もっとも、本当のロボットものだと「ロボットは利己的に動いているだけで感情なんて無い。人間が感情移入しているだけなんだ!」と容赦なくこわされるかもしれない。もしくは逆に「感情移入できればロボットでもいいじゃない」というのもあり。夢が無いですか? すみません。

そういえば。ピッポの代わりにミクロスが左遷されたけど。すまん。私、昔からミクロスの何がよいのかよくわからないのでカットでいい。ただし、「心」の無いラジコンミクロスは好き。

・リルルが薬を吐き出す際、表情に迷いがあったのは正解。旧作では笑って逃げるわけだけど、ここ明らかにおかしかった。あんな「よっしゃ!」って顔して逃げたくせして地下鉄で悩むわけがない、というのを書こうと思ったらすでにお書きになっている方がいるのでやっぱり丸投げ。

のび太に自分を止めて欲しいor壊して欲しいと願ったと思うんです
ということは人間を奴隷にする事はいけない事と、既に睡眠薬を飲まされた時に思ってるわけで
あんなかわいi…じゃない…企んでるような顔はする必要がない
じゃないとその後の国会議事堂での名台詞はでてこn……
ドラえもん のび太の鉄人兵団:まんがなとこ

ツッコミどころがありません。その通りです。

・「行けば撃つぞ」のシーンでピッポを絡めたのは絶対に何か意図があってのことに違いないといろいろ考えました。で、結論。リルルに二重の意味で大ダメージを与えることにあったのでは。

のび太が「敵」を撃てなかったこと、そして、ピッポまでもが「敵」を庇ったこと。そして、自分の「心無い」行為のせいで味方を傷つけてしまったこと。そのあたりがポイントか。じつはこのへんよくわかってない。2回目を見るときはここに注目して見る、はずだった。

シーンの構造をわかりやすくする意図もあるのかな。のび太とピッポが仲良しのようすを見せたあとだから、リルルを撃つということは、ピッポを撃つということと同じと。そしてピッポがリルルを説得することでリルルの心情をよりわかりやすく。

のび太とリルルの関係のみをクローズアップした原作も好きだけど、三者三様の心情がガチでぶつかる新作も好き。映画館でさけびたくなった。こんなことしてなにになるのかと。意味なんかないよ!

・リルルの尋問シーン、原作通りに連行されるところを助けても問題あるとは思えないのに、あえて変更して磔にする。これが寺本クオリティ。素敵です。いつも容赦ない寺本さん大好きです。

いや、シンプルに考えれば博愛主義を唱えたイエス・キリストの磔刑のメタファー。それはわかってる。でも、私は寺本さんの趣味だと思うんですが! 「のび太を愛した美少女」でもドラを電撃ビリビリしたり杭でグッサリしそうになったり、結構残酷なひと。

見ていたときは「せっかくしずかちゃんが直したのになんてことするんだ!」と思ったけど。完全に敵でも助ける地球人と味方であっても意見が違えば容赦ないメカトピアの対比か。

(自信無く)「答えたく、ありません」
→味方に吹っ飛ばされる(ここでメカトピアは間違っていると確信)
→(自信持って)「ゴミなんかじゃありません!」
の流れかな。

このあたりのシーンは原作・旧作・新作で全然違って。

原作:(迫るように)「うちなさい! 早くうちなさいよ! うって!」
 →(終始自信無く)「奴隷狩りを中止すべきです」
旧作:(微笑んで)「いいわ、うって!」
 →(終始自信持って)「奴隷狩りを中止すべきです!」
新作:(原作と同じ)
 →前述通り

……どうしてここまで違いが出るんだろうか。リルルの描き方の問題なんだろうけど具体的にはよくわからない。特に旧作。どうしてあんなに自信を持って言えたのだろうか。何年も前から考えてるんだがわからない。じつは制作者も深くは考えてなかったりして

ところで、人を撃つというのはものすごいストレスになることなので、のび太じゃなくてもできません。敵であっても、人間の形をして人間の言葉をしゃべる存在を撃つなんて、人間にはやっぱり無理なんだよ。「宇宙ガンファイターのび太」でのび太がPTSDにならなかったことを祈る。(参考:D.グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』

あ、でもドラなら撃ってたね、絶対。彼はロボットだもんね! じつはこの話は、地球人と地球のロボットはわかりあえないということを描いた物語だったのです。

しかし、ボロボロのリルルに対して「完全にこわしちゃえ!」なスネ夫もなかなか素敵。皆さんはできる? いえる?

・やっぱり寺本さんオリジナルのシーン多かったのか。

多くの人が感動したって言ってるシーンの殆どがシナリオには無い監督オリジナルのシーンだったりします。寺本さんには今後もどんどん監督やって欲しい。桝田浩史:Twitter

だから脚本なんて当てにならないと私は何度も。
オリジナルのシーン突っ込んだらその分ほかの時間が削られる→脚本からどんどん変わる。そして、映画は長いからTVシリーズよりもその傾向強い、ということ。……たぶん、だけど。

アニメの脚本はあくまで叩き台であって、ストーリーが確定するのは絵コンテじゃないの? と、アニメ界のことをさっぱり知らない私がやっぱりテキトーなこと言ってみる。

細田監督が同じことおっしゃっていたもよう。申し訳ないですが孫引きさせていただきます。

じつは絵コンテというのは、必ずしもシナリオに即しているとも限らないんですよ。実写の感覚でいえば、絵コンテというのは脚本の最終稿を監督が描いているみたいなことですね。ー細田守
映画評を書くのに脚本家の名前を出さない奴は俺が殺す!:シンジの“ほにゃらら”賛歌

映画評を書くのに脚本家の名前を出さない奴は俺が殺す!

……ごめんなさいごめんなさい! 全然清水さんのお名前出してなくてごめんなさい。監督至上主義でごめんなさい。が、しかし。清水さんの脚本の特徴がわからない!

でも、ドラ脚本で癖が出てるのってSF担当の大野木さんくらいのような気がするんですけど。しかも、大野木さんだからSFっぽくなるのかSFだから大野木さんがやるのかよくわからん。

「いや、他の脚本家も癖がある!」とわかるすごい方はぜひまとめてみてください。私は無理です。

で、全然関係ないけど、寺本さん慕われてるのね。さすが。でも、個人的には監督は3年に1回くらいでいいので、TVシリーズのほうもよろしくおねがいします。きっと新魔界のときと同様、おかしくなって帰ってくるにちがいない!

わさドラは毎年映画監督によって味が変わるのも楽しみだからなあ。いっそじゃんじゃんいろんな方起用してみたら? スティッチ監督のやすみさんとかクレしん監督のしぎのさんとかあたしんち監督の高橋さんとか。たくさんいらっしゃるじゃないですか。

記憶に残っているぶんにはこんなものかな。最後にどうしても言いたい。

リルルとピッポの心はメカトピアの始祖に埋め込まれた。きっと、いまのメカトピアのすべてのロボットに2人はいる。

それならば、最後のリルルとピッポははっきりと生まれ変わった存在というわけではなく、平和なメカトピアの象徴(すなわちメタファー)としての存在ではないか、と思った。そういう解釈もまた、いいんじゃないかと。

ひとつになれば、大きな力が目を覚ます。

監督を頂点として、プロデューサーと脚本家とコンテマンと演出家とアニメーターと声優、そのほか多くの皆さんがひとつになれば、大きな力が目を覚ます。

寺本監督をはじめとしたスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。この一年、ロボットSFや異文化コミュニケーションSFを重視して読んだかいがありました。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://iandmeandwho.blog107.fc2.com/tb.php/122-810c2b25

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

トラックバック

Appendix

プロフィール

shui

Author:shui

Twitter:@shuijiao4

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
プロフィール画像:©SozaiRoom

ユーザータグ

検索フォーム

QRコード

QRコード